
もくじ
- 世界記録続出のスプリント王国ジャマイカとは?
- ジャマイカの強さの秘密1:最速の遺伝子
- ジャマイカの強さの秘密2:選手の大型化
- ジャマイカの強さの秘密3:アメリカのトレーニング手法
- 禁止薬物に手を出してしまったジャマイカのドーピング違反選手
- 日本陸上短距離界に必要なトレーニングとは
- 9秒台の壁を突破&オリンピック決勝進出を狙える日本人ライバル選手は?
- 世界記録はどこまで伸びるのか
2017年9月9日、ついにその瞬間が訪れました。日本学生対校選手権陸上男子100メートル決勝。桐生祥秀(21、東洋大4年)選手が日本人初となる9秒台を叩き出しました。公式記録は追い風1.8メートルの9秒98。1998年に伊藤浩司選手が記録した10秒00を19年ぶりに更新しました。
一方、世界記録はウサイン・ボルト選手の9秒58。今回はジャマイカの速さの秘密に迫りながら、次の9秒台が期待される日本人選手を紹介します。日本人夢のオリンピック100mファイナリスト進出を掴むのは誰になるのでしょうか。
世界記録続出のスプリント王国ジャマイカとは?
現在、男子100mの世界記録ベスト5に、3人のジャマイカの選手が名前を連ねています。かつてアメリカのお家芸だった短距離種目ですが、今はジャマイカがその覇権を奪っています。2012年のロンドンオリンピックでも、ボルトが史上初めて100m、200mの2種目を連覇し、400mリレーではジャマイカチームが世界記録を樹立して優勝しています。ジャマイカの猛威はとどまる気配がありません。
ジャマイカは中央アメリカのカリブ海に浮かぶ、人口270万人ほどの小さな国です。16世紀から18世紀にかけ、労働力として西アフリカから沢山連れてこられた黒人の子孫が、今のジャマイカの人たちです。現在のジャマイカ人の9割以上がその頃の黒人の血を引いています。
ジャマイカの主要産業は、観光業、農業、鉱業等です。ここ最近は、観光業とエネルギー分野に力を入れ、経済が安定しています。ジャマイカの陸上界における台頭と経済の安定は、時期を同じくしています。
ジャマイカの強さの秘密1:最速の遺伝子

先祖から受け継いだ遺伝子に、科学的な観点から面白い事実が判明しています。近年、ジャマイカとイギリスの大学が共同で遺伝子の問題に取り組みました。その結果、ジャマイカのトップクラスの短距離選手の約8割が、筋肉中に“αアクチニン3”というタンパク質を遺伝的に多く持っていることが分かりました。
このαアクチニン3とは、瞬発力を生み出す筋肉(速筋)が力を爆発させるために収縮する際に支える役目を担っています。つまり、“速筋が生まれつきものすごく強い”のです。元々黒人は、他の人種に比べ速筋が多いのですが、ジャマイカの人々はそれに加え、速筋が強いということです。このことは、“人類最速の遺伝子”と言っても過言ではないと思います。
ジャマイカの強さの秘密2:選手の大型化

世界の短距離選手が大型化する一方、日本人短距離選手は小型化、世界の潮流から取り残されようとしています。下のデータを見て下さい。
1988年ソウルオリンピック・男子400mリレー選手の平均身長と体重
ジャマイカ 身長177.0cm 体重74.0kg
日本 身長177.0cm 体重69.0kg
2012年ロンドンオリンピック・男子400mリレー選手の平均身長と体重
ジャマイカ 身長179.7cm 体重80.7kg
日本 身長177.7cm 体重65.5kg
ジャマイカは身長+2.7cm、体重+6.7kg、対して日本は、身長+0.7cm、体重—3.5kgです。世界のトップスプリンターは、約20年で明らかに大型化している中、日本は世界のトレンドと逆に小型化しています。
身体が大きい=足が速いとは言い切れません。しかし、100m走の身体能力として大事なことは、まず最大出力を上げること、そして、後半での失速を少なくすることです。短距離選手は瞬発力と筋持久力の他に、強い出力に耐えうる身体を作ることも大切です。そのため、ジャマイカ選手をはじめ、世界のトップレベルの選手はみんなすごく身体が大きくなっています。
ジャマイカの強さの秘密3:アメリカのトレーニング手法

最速の遺伝子と素晴らしい体格を持つジャマイカの選手の才能を伸ばしたのは、アメリカの大学やクラブでした。ニューヨークからジャマイカの首都キングストンまでは、飛行機でわずか4時間です。多くのアメリカのスカウトがジャマイカを訪れ、才能ある選手をスカウトしていきました。
現在は、アメリカで優れたトレーニング手法を学んだ選手が自国に戻り、クラブを設立して選手育成に努めています。かつて短距離最速を誇っていたアメリカは、当然トレーニングも最新の理論に基づいた手法が採られていました。最速の遺伝子と最新のトレーニング手法が出会った結果、ジャマイカの最速伝説が始まることになるわけです。
ジャマイカの人気スポーツは、クリケットやサッカーでしたが、ボルトらの活躍もあって、現在は陸上スプリントも人気スポーツになっています。国としても、才能を後押しするため、義務教育から英才教育を施し、助成金を出すなど育成環境も素晴らしいものがあります。
禁止薬物に手を出してしまったジャマイカのドーピング違反選手
ジャマイカの強さの秘密に迫りましたが、それでも禁止薬物に手を出しドーピング違反となり、出場停止、メダルはく奪になってしまう選手は後を絶ちません。
ネスタ・カーター選手
2008年北京オリンピック陸上男子4×100mリレーで第1走を務めたネスタ・カーター選手が、興奮作用のある禁止薬物(メチルヘキサンアミン)に陽性反応があり、国際オリンピック委員会(IOC)から失格処分を受けました。
ヨハン・ブレーク選手
ウサイン・ボルト選手によって、いまだに破られていない9秒58の100m世界新記録が出たドイツのベルリンで開催された世界陸上。そのジャマイカ国内の予選でドーピング陽性反応が出て、ベルリン世界陸上に出場ができませんでした。
日本陸上短距離界に必要なトレーニングとは

日本人のスプリンターには、筋肉をつけて身体を大きくすると、スピードが落ちてしまうという、明らかな誤解をしている選手が多いと思います。決してそうではないことを、ジャマイカの選手が証明しています。
スプリンターにとって、強い筋肉を作るために大切なのはウェイトトレーニングです。ベンチプレスやスクワット、デットリフト等のオーソドックスなメニューに加えて、腹筋や背筋、股関節といった身体の中心に近い部分の筋肉を鍛えることが大事です。そして、トレーニング後にプロテインをきちんと摂り、肉や野菜もバランスよく食べるといった具合に、栄養管理も大切です。
アメリカやジャマイカの選手は、強い筋肉を作るトレーニングと身体を大きくする栄養管理を徹底しています。ジャマイカの選手は、下腹部奥のインナーマッスル腸腰筋や骨盤から体幹部分を徹底的に鍛えています。そうすることで、全身の協調性、連動性、つながり、しなやかさが素晴らしいものになっています。
日本人選手は短距離選手としての身体作りがまだ不足しています。100mほどシンプルに人間の身体能力を表す競技はありません。日本人の良さは、効率的なフォームや身体の使い方等を追及する繊細さです。その努力こそが、これまでの日本陸上界を支えきました。そこに正しい筋力トレーニングと栄養摂取でパワーが加われば、9秒台の壁を突破する日本人も増えていき、夢のオリンピック男子100m決勝進出ファイナリストの栄光を掴むことになるでしょう。
9秒台の壁を突破&オリンピック決勝進出を狙える日本人ライバル選手は?
陸上界で次の9秒台達成を期待される選手、さらにオリンピック初の陸上男子100m・200m夢の決勝進出ファイナリストを狙える日本人選手を紹介します。この選手たちがいいライバル関係にあり、切磋琢磨している状況がこれからの新記録更新に不可欠と言えます。
ケンブリッジ飛鳥選手
ジャマイカ生まれで2歳のときに大阪に移住。ジャマイカ人の父と日本人の母を持つ。
高校時代
本格的に陸上を始めたのは高校になってから。高校時代は陸上名門の東京高校で4×100mリレーでインターハイ優勝、日本選手権リレーでは当時の日本高校記録(40秒02)を樹立。ちなみにこの記事の編集者も東京高校陸上部に所属していたのでケンブリッジ飛鳥は後輩にあたります。東京高校の監督コーチは日体大・日大出身のため、監督コーチの薦めもあり日本大学に進学したのだろうと思われます。
大学から就職
大学時代にはジャマイカで武者修行を行い、体格差と筋肉の強さ、大きさの違いを痛感しています。その後、ウェイトトレーニングに取り組み体脂肪を4.4%減らし、筋肉量は2.5kg増やして大きな瞬発力を手に入れています。桐生祥秀選手に比べると遅咲きの選手で、世間に注目されはじめたのが社会人になってから。2016年5月21日に行われた東日本陸上競技選手権で10秒10を記録し、リオオリンピック参加標準記録を突破し、オリンピック初出場を果たしたのです。他の日本人選手と違い大きなストライド走法が特徴です。ストライドが大きく、パワフルな走りはジャマイカの血を受け継いでいるからなんでしょう。
サニブラウン・ハキーム選手(9秒台)
2019年に10秒の壁を突破し、9秒99を記録。福岡県出身でガーナ人の父と日本人の母を持つ。ちなみに母親は元陸上選手でインターハイ出場までした経歴の持ち主だ。小学4年から陸上競技を始め、高校時代は東京にある城西大付属上西中学・高等学校に進学。
高校時代
高校時代の監督は元400mで日本歴代2位の記録を持ち、シドニーオリンピックにも出場した山村貴彦さんである。「追い込まない」という特徴の指導方針がサニブラウン選手にフィットしたのでしょう。高校1年時から国体で10秒45の好記録で優勝し、一気に頭角を現しました。
世間に注目され始めたのは高校2年時の2015年に出場した18歳未満のオリンピックにあたる「世界ユース陸上競技選手権大会」で100m、200mともに大会記録で優勝、2冠を達成してからである。なんといっても200mの前大会記録保持者はあのウサイン・ボルトであったため、世界的にも一躍有名になりました。その後すぐ開催された北京世界陸上では史上最年少の16歳で出場し、準決勝進出の快挙を達成し、その2年後のロンドン世界陸上では200mでは世界最年少記録となる18歳で決勝進出を果たし7位入賞した。
大学から就職
2017年からなんと日本国内ではなく、フロリダ大学に進学し、活動拠点を海外に移しました。ケンブリッジ飛鳥選手同様、188cmの長身を生かしたスライド走法で100m9秒台突破はもちろん、日本人初の200m19秒台突破も時間の問題ではないでしょうか。そして、そのときは東京オリンピック100mと200mで日本人初の両種目ファイナリスト進出を果たすでしょう。年齢的にも国際大会での実績からしても日本人で最も東京オリンピックで活躍が期待される選手です。
桐生祥秀選手(9秒台)
滋賀県出身で、中学時代に陸上を始め、一躍トップ選手に。中学時代から現在までトップクラスで活躍し続ける選手は陸上界では非常に珍しいことです。
高校時代
京都洛南高校に進学し、高校3年生の4月に出場した、織田記念国際大会で当時の日本歴代2位の10秒01を記録してから世間にも注目され一躍有名選手になりました。
大学から就職
高校卒業後は陸上の名門、東京にある東洋大学に進学。東洋大陸上部コーチである土江寛裕さんの指導を受けながら、16年からは、元アテネオリンピック男子ハンマー投げ金メダリストの室伏広治さんからトレーニング指導を受けたことも大きい。コーチの土江寛裕さんは2000年初めに活躍した短距離選手。04年の日本選手権でA標準を突破しアテネオリンピック出場を決めたレース直後の嬉し涙は、個人的には記憶に残る名場面でした。
この記事の編集者もこの土江寛裕さんから直接指導を仰いだことがありますが、非常に論理的で、歩く動作から指導されたことが印象的です。指導に対して非常に努力家で、若くして東洋大の准教授まで上り詰めているのも納得です。筆者としては何よりも土江寛裕コーチの熱心な指導が大会での追い風などの好条件という運を引き寄せ、日本人初の9秒台に大きく影響したのではと思っています。9秒台が出た瞬間の観客席での土江コーチのあふれる涙の様子はとても印象深いです。
コーチとともに努力を重ねた大学4年間の集大成として、大学日本一を決める日本学生陸上競技対抗選手権大会(通称、日本インカレ)で日本人初となる9秒台、9秒98(+1.8m)を記録したということも感動的でした。
大学卒業後は日本生命に就職。桐生選手はケンブリッジ選手やサニブラウン選手と違い、1秒間に5歩を刻む高速ピッチ走法が特徴であり、9秒台を出した試合では最高速度だった秒速11.67m(時速41.76km)を65m地点で記録しました。これまでは55m地点が最高速度到達地点だったので、10m伸ばし、いわゆる海外勢と同じ「後半型の走り」が9秒台という大記録を打ち立てました。
多田修平選手
大阪府東大阪市の出身。中学時代から陸上を始め、中学時代の最高成績は大阪府大会でなんと5位という成績でした。全国大会はおろか地区大会にも出場できない選手だったんですね。
高校時代
今回上げている選手のなかでは最も遅咲きで、全国区になったのは、大阪桐蔭高校時代のインターハイ6位(10秒78)という成績です。ただ、大阪府大会ではなんと5位。ギリギリで近畿大会出場を決め、近畿大会でも5位という危なげない成績でインターハイ出場を決めています。そのため、近畿大会まではどこの大学からも目を付けられておらず、唯一声をかけてくれたのが、小さい頃からの夢でもあった関西のスプリント強豪校の関西学院大学だったのです。もちろん、インターハイ6位という好成績を残した後は関東の強豪である法政・中央・日大からもスカウトがあったようですが、関西学院大学に進学を決めたという話があります。
大学から就職
高校卒業後は、関西学院大学法学部に進学し、急成長。
2017年には大阪陸協が主催するアメリカ遠征に参加し、元世界記録保持者で9秒72の記録を持つジャマイカのアサファ・パウエル選手の指導を仰いだことでさらなる進化のキッカケへとなったといわれています。
元々得意だったスタートダッシュの姿勢が低すぎ、加速に乗れていなかったことをパウエル選手に指摘され、改善。帰国後すぐの5月に出場した、ゴールデングランプリでは世界歴代5位の9秒74の記録を持つ(2017年時点)アメリカのジャスティン・ガトリン選手と70m付近まで先頭争いを繰り広げ、ガトリンはもちろん、日本中の陸上ファンを驚かせました。
その後、1か月後の日本学生個人選手権では追い風参考記録ながら、国内レースで日本人初の9秒台の9秒94(+4.5m)を記録すると一躍有名に。その後も順当に日本選手権で2位となり、初の世界陸上に出場。団体競技にあたる4×100mリレーでは日本初の世界陸上銅メダルを獲得しました。
2019年就職予定でまだ就職先は未定ですが、関西出身なので、大阪ガスや大塚製薬
が獲得を狙っているのではないでしょうか。
桐生祥秀選手が日本人初の9秒台選手になりましたが、この多田修平選手の存在はかなり大きいものだったと筆者は考えています。大学のレベルで9秒台を狙えるライバルの存在がいるというのは非常に大きいものです。この多田修平選手がいなければ大学日本一を決める日本インカレで桐生祥秀選手が9秒台を出すことはなかったことでしょう。日本人初の9秒台、そして2人目、3人目と9秒台を出す選手がいつ現れてもおかしくないという状況を作り出した影の立役者だと思います。
山縣亮太選手
広島県出身で、小学生時代に地元の英雄でもある為末大選手が所属していたクラブチームで本格的に陸上を始める。小学生時代から全国大会で8位に入賞するなどすでに全国区の選手で、継続して成績を残すのが珍しい陸上競技界では数少ない幼少時代からのトップ選手です。
高校時代
修道高校時代にはインターハイではコンディションが整わず3位だったが、その後の国体・日本ジュニア1位と順調に成績を上げている。
大学から就職
他の選手がスポーツ推薦で大学に進学するなか、山縣亮太選手はAO入試で慶應大学総合政策学部に入学している点から文武両道で目的を持って慶應に進学し、陸上競技を続けたことがわかります。
一躍知名度を上げたことになるのは2012年の大学2年時。織田国際記念大会で10秒08(+2.0)をマークし、同年のロンドンオリンピックに出場し、準決勝進出を果たした。その後はケガに悩まされながらも着実に大学レベルの大会では日本インカレ(大学生の全国大会)優勝などを果たしました。
慶應大を卒業後はセイコーホールディングスに入社。再び脚光を浴びはじめたのが2016年のリオデジャネイロオリンピックでした。選考レースとなる日本選手権でケンブリッジ飛鳥選手に次ぐ2位でフィニッシュし、リオ出場を獲得した。リオオリンピックでは準決勝で10秒05(+0.2m)の好記録をマーク。団体競技となる4×100mリレーではアジア新記録で日本初の銀メダルを獲得した。
ケガに悩まされながらもオリンピックイヤーには確実に記録を出してきた山縣亮太選手。2017年にはロンドン世界陸上への派遣を決める日本選手権では6位に終わり、ロンドン世界陸上の代表に落選。前評判が高かっただけに悔しいレースとなったことでしょう。その後、サニブラウン選手がロンドン世界陸上200m決勝進出という目覚ましい活躍を見せたと思えば、桐生選手が日本人初の9秒台をマークし日本陸上界が盛り上がった。山縣亮太選手は、そのわずか2週間後の全日本実業団対抗陸上競技大会(社会人の全国大会)に出場し、10秒00(+0.2m)の日本歴代2位(当時)の好記録で優勝。悔しいレースとなった日本選手権と同じ大阪の長居陸上競技場で屈辱を晴らした。追い風などの条件を見ると9秒台を出した桐生選手より速いタイムであり、2017年時点で最も日本陸上界で力があるのは山縣亮太選手だと言える。
歩幅を小さく取るピッチ型の桐生祥秀選手に山縣亮太選手、多田修平選手。歩幅を大きく取る走り方のストライド型のケンブリッジ飛鳥選手にサニブラウン・ハキーム選手。日本の短距離界を牽引するライめバル同士です。
小池祐貴選手
北海道出身で中学までは野球選手で、高校から本格的に陸上競技を始めた選手です。学生時代は同級生の桐生選手の影に隠れ、あまり目立つことはなく苦労人ともいえるでしょう。しかし、2019年のセイコーゴールデングランプリで日本歴代7位の10秒04を記録。4×100mRの3走にも選ばれ一躍有名人になりました。
世界記録はどこまで伸びるのか

最後に、今後の世界記録の可能性です。運動制御に詳しい早稲田大学の鈴木秀次教授は、人体の筋肉をタイミングよく動かすことができれば、9秒3~2は出るのではと言っています。しかし、アメリカやイギリスの研究の予想では9秒48が限界となっています。
ボルト選手自身も世界記録は9秒4で止まると言っていました。そこまで行けるのは、このおれ様だと動物的嗅覚だけで断言しています。人類最速のボルトが言っていることを無視するわけにはいきませんね。
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